鞘師里保がモーニング娘。を救ったという話
鞘師里保がモーニング娘。の卒業を宣言してからもうすぐ4年が経とうとしている。
このタイミングで改めて、私が長年主張し続けている鞘師=モーニング娘。の救世主(メシア)説をまとめてみた。ついでに日頃伝えたくても伝えられなかった鞘師への思いもぶつけてみた。
まとめてみたとか言って全然まとまってない(5800字)けど、「こんな考え方もあるんだなぁ」程度に思ってくれると嬉しいです。
※注意!いつにも増して妄想満載ブログとなっています。本ブログはあくまでも「個人の主観」によるものでございます。
結論から言うと、鞘師里保がモーニング娘。に加入してくれたことは神様からの贈り物だと思っている。
オメェは何言ってんだと思うかもしれないけど、これはガチだ。
20年以上続くモーニング娘。の歴史を紐解くと、いくつかの転換期が訪れていることはご存じの方も多い。
『抱いてHOLD ON ME!』をピークに売上が徐々に低迷し、『ふるさと』で同じくASYAN出身だった鈴木亜美との売上対決で惨敗(敢えてこの言葉を使う)し、グループ全体に暗いムードが漂っていたあの頃。
後藤真希が加入し、LOVEマシーンが160万枚を売上げて一気に国民的アイドルへと変貌を遂げた。
国民的アイドルと呼ばれたメンバーが次々と卒業し、徐々にメディアの露出が減っていったあの頃。
高橋愛、新垣里沙ら5期メンバーが中心となってひたすら歌ダンスのスキルを磨き上げることで、今にも続くハイベルなライブパフォーマンスの土台を作った。
そして鞘師里保の加入で何が起こったか?
彼女は加入早々エースとして活躍し、「フォーメンションダンス」と呼ばれるパフォーマンスとEDM系の楽曲を引っさげ新生モーニング娘。として現在の人気の礎を築いた。
……という鞘師の活躍は「モーニング娘。の歴史を振り返る」なんてコーナーでしょっちゅう取り上げられている。
しかし。私はそれだけじゃないと思っている。
断言する。
鞘師がいなければ今のモーニング娘。は無い。
物理的にモーニング娘。は存在していない、どこかのタイミングで解散を迎えていた。
それはなぜか。
鞘師里保がいなければ9期オーディションは行われることはなかったから。(何度も言いますが、一個人の見解です)
オーディションが行われなければ追加メンバーもなく、必然的に解散を迎えてしまっていたはず。
……という鞘師加入前から卒業後の活動について、ひたすら、ひたすらオタクの妄想を撒き散らしています。それではスタート!
鞘師とモーニング娘。の繋がりは9期オーディションよりも前に遡る。
鞘師がモーニング娘。に加入するちょうど1年前の2010年1月に開催された「JC&JK女子中高生女優オーディション」がいちばん最初の繋がりだ。
その年の6月に上映したモーニング娘。のミュージカル『ファッショナブル』の一般共演者を募ったオーディションだった。
名前の通り、JC(女子中学生)JK(女子高生)を対象としたオーディションのはずだったが、当時JS(女子小学生)の鞘師里保がオーディションに参加。見事合格した。*1
オーディション合格者は5人。鞘師は最年少合格者だった。これが初めて外部オーディションでの合格だったと鞘師は後に語っている。
モーニング娘。と鞘師、やはり運命か。
合格前の「鞘師is神様が導いたモーニング娘。運命感じなきゃ嘘だよ論」を語るとそれだけで晩杯屋に6時間居座る羽目になるので脚注にまとめておいた*2時間がある時に読んで欲しい。
オーディション合格当時の鞘師の姿。控えめに言って天使。天使に触れたよ。
舞台のテーマ曲であった『青春コレクション』の振りを完璧に覚えた鞘師は、ある時一人で舞台裏で踊っていたという。その姿を亀井絵里に目撃され、「すごいね」と頭をよしよしされたという当時のエピソードは『17歳の決断』にも書かれている。
えりりんの天使ぶりが伝わるエピソードである。
……話がそれてしまった。
とにかく、このオーディションから鞘師とモーニング娘。の歴史が始まった。
舞台を観覧した人からは「最後に披露される青春コレクションでガンガン踊っていて目立っていた」という報告があった。
共演したメンバーからは「子役みたいなハキハキした子がいた」と評価された。
当時から存在感を放っていたのは間違いない。共演者の中島早貴からの「広島弁バリバリだった」という萌死エピソードも忘れてはならない。*3
私はこのオーディションで鞘師見つかった、と思っている。
誰にって、事務所に見つかった。
そして告知される9期オーディション
鞘師がえりりんに頭をよしよしされて、いや、ミュージカルの舞台に立ってからおよそ1ヶ月*4が経過した同年8月8日。
中野サンプラザで行われたハロコンにて、つんくこと寺田光男がサプライズ登壇。亀井絵里、ジュンジュン、リンリンの卒業が発表され全オタクの死亡が確認された。
そして同タイミングで、9期オーディションの開催が告知された。2006年の光井愛佳加入以来、実に4年ぶりのオーディション開催だ。
何年も開催されていなかったオーディションが、なぜこのタイミングで?
これはあまりにもタイミングが出来すぎているのではないか?
鞘師というダイヤモンドを発掘した事務所が、つんくが、まさに「ピコーン」したのではなかろうか。
鞘師を中心とした新生モーニング娘。のプランディングが出来上がっていたのではないか。
あんなに可愛くて!バリバリ広島弁で!ASHで培ったハイレベルなダンスを堂々と披露されたら、それを見逃すことなんて出来ないはずだ。
そのままスルーして他の事務所に取られた日には、「逃した魚は大きいぞ♪」なんて歌を5000回歌ったところで洒落になっていなかった。
鞘師という逸材が、自らモーニング娘。に関わろうとしてくれている!
バリバリ9期オーディション~里保ちゃんいらっしゃい!~
と開催に至ったのではないだろうか。
当時のモーニング娘。は久住小春が卒業以外は全く動きがないという状況が3年ほど続いていた。
振り返れば必要な期間であったとは思う。
メンバーを固定し、じっくりとパフォーマンスを磨くことで今でも続くパフォーマンス重視、ライブ重視の礎が作られた。この時代は後に「プラチナ期」と呼ばれるようになり、今でも当時の映像を見てファンになる人がいるほど評価されている。
でもそれは、今もモーニング娘。が第一線で活動してくれているからこそ言えること。
長期メンバー固定体制に様々な憶測が飛び交った。
当時は事務所が真野恵里菜、スマイレージら新人アイドルの育成に注力していたのは明らかだったし、Berryz工房はアニメの主題歌を担当して新たな人気を獲得、℃-uteは梅田えりか卒業後、メンバーカラーチェンジなど体制を一新して5人体制の礎を固めようとしていた。
モーニング娘。だけ、不自然なほど何の動きもなかった。もっというと、高橋愛のドラマ出演や道重さゆみのバラエティ進出など、個々での活動も目立つようになっていた。
このままメンバーを固定し続け、ソロ活動が増えていく先には何があるのか?
解散という二文字が頭によぎるオタクもも少なくなかったと思う。
しかし。
結果として4年ぶりのオーディションで4人の新メンバーが加入し、新生モーニング娘。の幕は開けた。BRAND NEW MORNING。新世代の幕開け。
そこから先の快進撃は皆さん知っての通り。
9期が加入したから10期が加入した、続いて11期が加入した、その歴史が繰り返されて2019年には15期メンバーを迎えるまでになった。
鞘師がきっかけとなって開催したとも断言できる9期オーディション。
そこで加入した4人がモーニング娘。の歴史を紡いだ。これは紛れもない事実だ。
鞘師をがもっと見つかって欲しいという思いと卒業
高いポテンシャルを発揮した鞘師は当然のようにモーニング娘。のエースと呼ばれるようになり、モーニング娘。の人気を押し上げた、というのは冒頭に書いた通り。
まさに八面六臂の活躍ぶりだったが、加入して4年後、17歳にしてモーニング娘。を卒業した。在籍期間は短い方だったと言える。
もう少しモーニング娘。で活躍する鞘師の姿を見たかったという気持ちはもちろんあった。
一方で、鞘師はモーニング娘。ではなく別の世界で活躍するべきだ、それも早い内に。という気持ちも持ち合わせていた。(何度も言いますが、個人の見解です)
圧倒的なダンススキル、カリスマ性、舞台裏とのギャップ。どれをとってもモーニング娘。のヲタクが独占していいものでは無いと思っていたから。
モーニング娘。として、アイドルとして収まって良いはずがない実力を持っていたから。
もっとたくさんの人に知って欲しかった。「ウチの鞘師」の凄さを知って欲しかった。
鞘師ならアイドルを超えた別次元のエンターテイメントを魅せることが出来ると思っていた。それをアイドルファンとは違う層にも届けて欲しかった。
見せつけてほしかった。鞘師里保という存在を。
そう思うと、あのタイミングでの卒業は必然だったのかもしれない。
フリーとして活躍している今は、BABYMETALのサポートダンサーとして世界中のステージに立つ日々を送っている。
あの時に届きたくても届けることができなかった人たちにも、間違いなく鞘師のダンスが届いている。熱狂している。それも世界中の人が。
私はこの姿が見たかった。世界中の人に鞘師里保を知ってほしかった。
どういう縁があってBABYMETALのサポートダンサーに抜擢されたのか知る由もないけど、こうして踊る鞘師の姿を見ることが出来たこと、サポートダンサーという体制を受け入れてくれたBABYMETALのファンの心の広さには本当に感謝でいっぱいです。
卒業後のモーニング娘。と鞘師について
鞘師の卒業は、モーニング娘。にも変化を起こした。明らかにメンバーの歌、ダンスのスキルがアップした。
鞘師卒業後「次は私がモーニング娘。を背負って立つ」あるいは「次にセンターに立つのは私だ」と全員が決意した結果だと思っている。
鞘師卒業初めて迎えたツアーの1曲目は『One・Two・Three』だった。センター鞘師の代表曲で、新生モーニング娘。の象徴であるこの曲を、鞘師抜きで見事に披露した。
特に間奏明けの鞘師のシャウト部分を引き継いだ小田さくらの美声に鳥肌が立ったことは今でも覚えている。
「鞘師さんがいなくなったら誰と踊ればいいんですか」と泣いていた石田亜佑美のダンスはより一層、キレが増した。
佐藤優樹はステージ上のカリスマ性、支配性がさらに強くなった。
全員が強くなって、進化して、新メンバーはその先輩の姿に発奮した。
その結果がロッキンのグラスステージに立つという史上初めての快挙に繋がったのではないだろうか。
話は前後するが、私はどうしても鞘師が世間に見つかってほしかった。
だからこそ、モーニング娘。がロッキンのステージに立ち、普段とは違うロックファンという客層にパフォーマンス見せつけ、彼らから称賛の声を聞く中で「もし鞘師がいる時にロッキンのステージに立っていたらどうなっていたんだろう」と思ってしまうこともあった。
でもそれは違っていて。
鞘師が卒業し、個々の強さを手に入れ、新メンバーも入り最強のグループに成長した「今」のモーニング娘。だからこそロッキンのステージに立ち、圧倒的な存在感を出せたに違いない。鞘師がいた頃のモーニング娘。では出来なかったことだ。
そして鞘師が今BABYMETALのサポートダンサーとして活躍しているのも、モーニング娘。卒業後も決して歩みを止めること無く努力を続けた結果に違いない。
鞘師もモーニング娘。も、卒業を経てさらに輝きが増した。
本人たちの努力の証と思っている。
踊り続けろ!鞘師里保!
20周年本で「もし今後出てくることがあればひょいっと登場します」と宣言した鞘師。その言葉通りに、予告もなく突如BABYMETALのサポートダンサーとしてステージに立った。SU-METALと鞘師がASHに通っていた頃から10年後、こんな未来が待っているなんて誰が予想していたのか。
時折SNSに投稿される動画や写真を見ると、鞘師はあの頃の鞘師のままだ。
鞘師は卒業後、改めてダンスが「大好き」だと自覚したと言う。
その大好きなダンスでBABYMETALの楽曲を世界中に届けている。
どこに行っても鞘師の無邪気な笑顔、心から震えるようなクールな目つきはあの頃と変わっていない。
私が見たかった鞘師がそこにはいた。
ありがとう鞘師。
モーニング娘。に入ってくれてありがとう。救ってくれてありがとう。
私の大好きなモーニング娘。を紡いてくれてありがとう。
これからは誰のためでもなく、自分のために大好きなダンスを踊り続けてほしい。
それがモーニング娘。のファンである私にとっても、最高の贈り物だから。
*1:応募対象年齢は10~18歳だったので、当時11歳だった鞘師も応募基準を満たしてはいる
*2:①そもそも鞘師がダンスに興味を持ったのは幼稚園のお遊戯会で「Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜」を踊った時に、ダンスが楽しい!と思ったから。ちなみにお遊戯会では早くもダンスの才能を発揮し、センターに抜擢されている。才能の塊。源鎌足。
②ダンスに興味を持った鞘師は養成所のASHに加入。ここでも数々のハロプロ曲を披露する。
③一方で当時大ブレイクを果たしたASH出身のPerfumeが番組企画でレッスン場を訪れた際「いつもテレビで見ていてすごくかわいなって思ってます」とインタビューに答えている姿が放送された。そんな鞘師が可愛よ。
*3:他にも「ずっとDSをやっていた」「服(ふく)のイントネーションに苦労していた」というエピソードが鞘師卒業直前にラジオにて披露された。何それかわいい